8月30日にラストフライトを迎えた全日本空輸(ANA/NH)の機長、寺西一郎さん。最後にコンビを組んだ副操縦士は、息子の寺西一桂(いっけい)さんだった。寺西親子が「親子フライト」に臨むには、どのような経緯があったのだろうか。(親子ラストフライト出発の様子はこちら)
寺西副操縦士が航空業界を目指すきっかけになったのは、父の影響が大きかったようだ。幼稚園児のころのエピソードとして、『将来の夢』について学芸会の出し物で発表したときのことを振り返り、「父から帽子を借りて『パイロットになる』と宣言したのを覚えている」と話した。
一方、父はワイシャツに肩章を縫い付けて着せたことを覚えているものの、「学芸会以降『パイロットになりたい』とは一度も聞いていなかった。昔からなりたがっていたことを聞いて、とても不思議な感覚」と、入社が決まってから息子の夢を知ったことに驚いたようだった。
副操縦士になるには、入社後にさまざまな試験や訓練が必要だ。父は「訓練が厳しく、教官として何人も不合格にしているので、副操縦士になるのは難しいだろう。どのくらいまで来ることができるのか」との思いで息子を見ていたという。自身の教官経験でどのような訓練を実施するかを知っていたので、息子から質問されても、「ほかの教官の言うとおりにしなさい」とだけ答え、息子に対しては具体的なアドバイスは控えたようだ。
今回の「親子フライト」は、寺西親子にとって2回目。寺西機長は初めてだった前回を「息子とのフライトで、初めは構えてしまった」と緊張して臨んだことを告白。「女性の副操縦士の時と同様、どのように対応するべきかを考えすぎた。しかし、コックピットに入ってしまうと、機長と副操縦士で作業内容がはっきりと分かれることもあり、まったく気にならなかった」と回想。飛行機を降りたときには息子の仕事ぶりに「成長したな」と思ったという。
息子の寺西副操縦士は「細かいことも指導してもらえたので、とても勉強になった」と振り返る。一方でお互いに言い過ぎたり、思わず手が出るなど、“親子”が出てしまう面もあり、多少のやりづらさを感じたようだ。
「親子関係」を社内では出さないようにはしているが、ふとした拍子に出てしまうことも。フライト終了後は到着地で書類にサインをする。初の親子フライト終了時、寺西副操縦士は現地係員の前でいわゆる「ため口」で話したようで、係員は驚いた表情をしていたという。
ANAには現在、機長と副操縦士の「親子パイロット」は計5組在籍している。うち、今年度中に定年退職を迎えるのは寺西機長のみ。今後、ほかの親子フライトでは、どのようなエピソードが明かされるのだろうか。
関連リンク
全日本空輸
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