国内初のLCCであるピーチ・アビエーション(APJ/MM)が2012年に就航して10年が過ぎた。その2年前の2010年1月に日本航空(JAL/JL、9201)が経営破綻。日本の空は大きく変わった。2012年は3月にピーチ、7月にジェットスター・ジャパン(JJP/GK)、8月にはエアアジア・ジャパン(第1期)と次々に就航し、“国内LCC元年”といえる節目の年になった。
LCC各社の創業期を支えた人材のうち、パイロットは破綻を機にJALを去った人も多かった。ピーチで運航全体を統括する「OCC運航統括責任者(MOD)」や運航本部長を歴任した内野愛一郎さんも、就航前のピーチにJALから転じた一人だった。
内野さんは1975年に国の航空大学校を卒業後、JALに入社。ボーイング747-200型機など在来型747に乗務し、機長や教官を経て777に機種移行。オペレーションコントロールセンター部長やミッションディレクター(MD)と、運航を統括する仕事に携わっていたが、破綻した2010年、60歳の定年退職まで2年を残して自ら会社を去った。しかし、もう少し飛びたいという気持ちもあり、就航準備が進むピーチへ先に入社したJALの同期からの誘いに応じた。
「最初は断っていたのですが、ちょうど(パイロットの)年齢制限が63歳になり、3年くらいなら飛んでみようか、とやってみることにしました」と話す内野さんが、今月30日に70歳でピーチを定年退職する。「予定より10年多く働きましたね」と笑う内野さんがピーチに入社後、パイロットの定年は65歳、68歳と延長を重ねた。自らのラストフライトは67歳で迎え、2020年9月29日の那覇発関西行きMM212便となった。
就航から10年が過ぎ、会社が大きくなると、創業期とは顔ぶれも会社の雰囲気も変わってくる。「職種を超えて、職種にこだわらず話が出来る会社」という良さは残していきたいという内野さん。それは「職場の雰囲気が良くないと、安全は守れない」という、自らの体験に基づき、職種を超えて話ができる職場作りを同僚たちと進めてきたからだった。
—記事の概要—
・定年目前でJAL破綻
・先読み必要な欠航判断
・パイロットを目指す人へ
定年目前でJAL破綻
「あまり整理解雇はして欲しくなかったです。整理解雇をすれば職場の雰囲気が悪くなるし、自分がいた職場が悪くなるのは見るに忍びない」と、内野さんはJALが破綻した当時を振り返る。「自分が辞めることで人数が充足できるのなら、もう辞めてもいいかな、と思いました」と、早期退職に応じた。
JALを辞めた内野さんは当時58歳。「ピーチなどが立ち上がる話は聞いていましたが、今さらこの歳で訓練もな、という気持ちでした」と、先にピーチに入社したJALの同期たちから「もう一度やってみないか」と誘われたが、「俺はいいよ」と断っていた。しかし、「777は5年弱で1000時間くらいしか飛んでいなかったですね」と、デスクワークや教官などの仕事で飛べていなかったという思いもあり、同期の誘いに応じた。
内野さんがこれまで操縦していたのは747と777で、いずれもボーイングの機体。ピーチのエアバスA320型機とは、操縦桿がボーイングは「コントロールホイール」、エアバスは「サイドスティック」とまったく異なる。「触るまでは大丈夫かなと心配でしたが、やってみたらスムーズに入っていけました」と、A320の機種移行訓練を進めていく。「777をかじったこともあり、フライ・バイ・ワイヤの考え方を理解できたのが良かったのかもしれません」と内野さんは777の操縦経験が役立ったという。
しかし、JALとLCCのピーチでは、訓練の進め方はまったく違った。訓練の中身は同じでも、期間は半分ほどに凝縮して進めるという。「歳を取ってあの期間で訓練をこなしていくのは大変でした」と、内野さんは2012年1月に入社し、3カ月後の4月にA320機長発令を受けた。
ピーチに入社し、A320への移行訓練を受けていく中で、内野さんが今後の必要性を感じていたのは、さまざまな職種の人が気兼ねなく会話ができる職場の雰囲気づくりだった。航空会社は運航、客室、整備、空港など、さまざまな部門がほぼ独立した組織として機能しており、ほかの部署の仕事のことはよくわからない、という話は会社を問わずよく耳にする。そうした縦割りの弊害を内野さんは破綻前のJALで経験しており、「当時はJALから来た人が多く、ピーチはああいう雰囲気にしたくない、というのは共通した想いでした」という。
「あれだけ大きな会社なので、すでに出来上がっているし、それを自分で変えるのはなかなかできないです」と、大きな組織を大変革する難しさを実感していた。ピーチに集まったパイロットたちの中では「機長と副操縦士が垣根なく話が出来るようにしよう、となり、井上(慎一前CEO。現・全日本空輸社長)さんや森(健明副社長。現CEO)さんは職場を大事にしてくれる経営者でした。そういう思いを実現する条件がそろっていました」と、会社全体で同じ方向を向いていたことが良かったという。
パイロットだけでなく、異なる職場同士で風通しを良くすることが事故を防ぐ上で不可欠だと、内野さんたち大手経験者は実感していた。
先読み必要な欠航判断
A320の機長に転じた内野さんは、2017年12月にピーチで運航全体を統括する「OCC運航統括責任者(MOD)」に任命された。ピーチのOCC(オペレーション・コントロール・センター)にパイロットがやってくるのは初めてだったが、運航全体を見ていく上で、パイロットの目線は不可欠だ。
内野さんはJALで同様の職種を経験していたが、実作業はスタッフに任せられた。しかし、ピーチでは最終判断だけでなく自分で作業もしなければならなかった。そして、FSC(フルサービス航空会社)であるJALとは違い、LCC(低コスト航空会社)のピーチには予備機がない。LCCはこうしたコスト削減の積み重ねで低価格運賃を実現しており、1機故障しても代わりの機材に変更することが難しい。そして、1機が飛べなくなれば、複数の路線に影響が波及しやすい。FSCは運賃は高いが、こうしたリスクが発生した際、予備機で影響を最小限に抑えることができる。
飛行機が飛べなくなるのは、故障だけではない。台風や大雪といった悪天候も大きな要因だ。内野さんは「飛行機が飛べなくなった時にどうしようかとは常に考えていますが、いつ壊れるかわからないし、いつ行った飛行機が帰って来れなくなるかもわかりません。LCCはFSCと同じような気象判断で運航させるわけにはいかず、早めに判断しなければなりません」と説明する。
例えば新千歳空港に雪が降ったとして、大手はまだ運航できていても、ピーチは早めに欠航の判断を下さなければならないケースがある。また、その欠航判断により、例えば乗客からは無関係に見える、欠航便と同じ機材で運航する那覇便が機材繰りで欠航する場合も出てくる。
特に最近はLCCの利用者が増えたこともあり、大手と同じサービス水準をLCCに求める人もいる。「LCCとして、できることと、できないことがあります。LCCとしての判断を持ち続けていかないと、もっと大きな影響が出る場合があります」と、悪天候で飛べない確率が50%であれば、飛ばない判断を下すほうが影響を最小限に抑えられるという。
「結果論で物事を判断しない。悪天候で『この便は飛べたじゃないか』と考え始めると、判断を間違います。結果は反省材料にし、天気の分析に生かせば良く、判断は変えない方がいいですね」と内野さんは言う。ピーチの場合、予備機を持たないことが低価格の実現につながっている以上、大手と比べて運航の可否は厳しい判断をせざるを得ない。
当然、利用者の評価も気にしなければならないが、ビジネスモデル上、LCCでは出来ないことまで安請け合いしてしまっては、結果的に自らの首を絞めることになる。こうした事態を避ける上でも、さまざまな部署で働く人が職種を超えて話ができる職場の雰囲気作りは重要だ。
パイロットを目指す人へ
職種を超えてさまざまな話ができることは重要だ。そして、パイロットも機長と副操縦士が話しやすい雰囲気にすることが大切になる。
「昔は機長にもの申すという雰囲気ではなかったですが、今は危なくなります。何かあったら、ものを言わなければなりません。いい子でいてはダメ。機長が間違えたら、そのままになってしまいます。コミュニケーションが出来る人でないと、今のパイロットはやっていけないですね」と内野さんは言う。
内野さんは2019年11月から運航本部長として、パイロットと客室乗務員を束ねる立場になった。そしてパイロットたちには、副操縦士は生意気であっていい、機長は受け入れる度量が必要だ、と説いた。
しかし、機長に対して主張する以上、副操縦士にはその考えの根拠が求められる。「主張するには勉強する必要があり、知識なり経験を持っていないといけません。それを繰り返した先に機長の道が待っています」
内野さんに、これからパイロットを目指す人に何を求めるかを聞いた。「自己主張出来る人間であって欲しいです。しかし、身勝手と自己主張をはき違えてはいけないです」と、機長に対して勉強した知識に基づいた進言ができるパイロット像を挙げた。
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かつては閑古鳥が鳴いていた関空が、ピーチの就航で息を吹き返して10年。国内でLCCは大手とは違った客層を掘り起こし、新しい市場を開拓した。LCC市場の成長に伴い、ピーチも小さな所帯から大きな組織になっていった。
10年前の就航当時、さまざまな部署がお互いの苦労を理解し、難局を乗り越えてきた。「ほかの部署でもお互いよく知っているので、すごく雰囲気もよく、会社を良くしていきたいという思いがありました。会社が大きくなると、後から入ってくる人に創業期と同じことを求めるのはできない。しかし、職種を超えて話ができる会社、という部分は残していかないといけないと思います」と、ピーチの創業期から続く雰囲気は、これからも残って欲しいという。
「職場の雰囲気が良くないと、安全は守れないんですよ」。内野さんが職場の雰囲気づくりを通じて一番伝えたかったこと。それは「安全」だった。
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ピーチ・アビエーション
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後編 「安全がなければ簡単に倒産する」
特集・ピーチ社員から見た就航5周年(全5回)
(1)「格納庫って何ですか?」から始まった ブランドマネジメント・中西理恵の場合
(2)「お金と時間かかるFAXって何?」 システムストラテジスト、坂本崇の場合
(3)「一等航空整備士はスタートライン」 新卒1期の整備士、和田尚子の場合
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10年前に就航
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