宮崎空港に本社を置くソラシドエア(SNJ/6J)に、初の女性機長が誕生した。国の航空大学校を卒業後、2014年に入社した上條里和子(りなこ)機長で、8月15日に機長発令を受け、17日の羽田-熊本線往復(6J13/16便)が機長として初の乗務となった。
—記事の概要—
前編
・子供ながら感じた「ここが私の居場所」
・「あなたにはパイロットの道はありません」
・「パイロットって就職するの?」
後編
・「自分に100点をあげられること、多分一生ない」
・「やりたいことに苦労があって当然」
「自分に100点をあげられること、多分一生ない」
8月17日午前10時48分。羽田空港第2ターミナルの51番スポットから、上條さんが機長を示す4本線の肩章を付けて初めてフライトする熊本行き6J13便(ボーイング737-800型機、登録記号JA802X)が乗客122人(幼児2人含む)を乗せて出発し、D滑走路(RWY05)から午前11時10分に離陸した。この便には両親や夫、親族も乗ったが「何も思いませんでした」と笑う。「母が誕生日だったので、よいプレゼントになったと思います」と親孝行になったようだ。
初めて機長としてアナウンスする際には、今まで通り「副操縦士」と言い間違えないよう、確認して挑んだという。そして、復路の熊本発羽田行き6J16便は乗客153人(幼児8人)を乗せて午後1時23分に熊本を出発。羽田のA滑走路(RWY34L)に着陸後、午後2時53分に到着し、初フライトを終えた。
熊本空港について上條さんは「丘の上で風の変化が大きく、ビジュアルアプローチをよくやる空港で、直前でランウェイが変わることもあります」と、一筋縄ではいかないようだ。「空港がかわいく思えたら一番いいですね」と、特徴を把握していくことで、技量向上につなげていきたいという。
「自分に100点をあげられることが、多分一生ないのがこの仕事だと思います」という上條さんは、パイロットとしての信念として、「後悔がないフライトを常にしていきたいです」という。コロナで大量減便に見舞われたり、姿を消した航空会社もある。「安全運航はもちろんですが、快適なフライト、後悔がないフライトを心掛けたいです」という。
17日のフライトは、「実感がないまま4本線をもらって乗り込んだという感じでした」と振り返る上條さんは、熊本から羽田に戻り、副操縦士と4人の客室乗務員の6人がそろってクルーバスに乗り、初めて機長としての乗務を実感したという。
「みんなと顔を合わせて、ようやく職務を終えることができたんだなと感じました。(フライト中は客室と)コックピットはドアで隔たりがあるので、信頼して任せていて、顔を見て『今日はありがとうございました』と言った時はうれしかったです」
上條さんがパイロット訓練生としてJALに入社した2009年4月1日を基準にすると、機長としての初フライトは4887日目、13年4カ月と17日が過ぎていた。
「やりたいことに苦労があって当然」
今までは機長昇格に向けて隣に教官がいたが、機長発令後は上條さんが責任者だ。「忘れてはいけないことは、人のせいにしないことです。例えば自然のせい、機材のせい、誰かのせい、運が悪かったとした時点で、私は成長が止まると思っていますし、むしろ後退していくと思います」と自らを律する。
「自分がやりたいことなんだから、苦労があって当然」という上條さんは、機長昇格が近づいた時の心境を、「意識が変わったのは、機長になることがゴールではなく、スタートだと思った時でした。怖さも当然あるのですが、それ以上にその次の景色が見たいと思いました」と話す。
これからは機長としてステップアップしていく上條さんは、「一緒に飛びたいと思ってもらえる機長になりたいですね」という。
ソラシドの女性副操縦士が機長昇格を目指す上で、安心できる存在となることが、同社初の女性機長である上條さんの目標の一つだ。
(おわり)
関連リンク
ソラシドエア
特集・困難乗り越えたソラシド初の女性機長 上條さん
前編 「あなたにパイロットの道はありません」
初日の出フライトや講演も
・女性パイロットや整備士が仕事紹介 航空5団体が女性向け航空教室(19年12月15日)
・ソラシドエア、初の初日の出フライト 青島神社初詣ツアー(18年1月3日)
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(1)ナパ閉鎖を経てフェニックスで訓練再開
(2)旅客機の感覚学ぶジェット機訓練
(3)「訓練は人のせいにできない」
(4)グアムで737実機訓練
(5)「訓練生がやりづらい状況ではやらせたくない」