新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大で、これまでは当たり前だった旅も、周囲への影響などを考えなければならない状況になって1年がすぎた。しかし、ワクチン接種が世界各国で始まったことなどを契機に、徐々にポストコロナを見据えた動きも本格化してきた。
全日本空輸(ANA/NH)を傘下に持つANAホールディングス(ANAHD、9202)は、旅の効能を科学的に追求する「旅と学びの協議会」を2020年6月に設立し、キックオフイベントを6月23日にオンラインで開いたところ、平日午前ながら1000人以上が視聴した。教育工学や幸福学、観光学の視点から旅の果たす効果を科学的に検証し、旅を次世代教育に役立てていく提言をまとめることを目的としている。
現在は空路を含め、移動そのものに制約が多い状態だが、協議会の設立はANAHDが新型コロナの感染拡大前から進めてきた取り組みだ。「コロナで新たな価値が生まれたり、再認識される移動もあると思う。(協議会は)人生を豊かにする取り組みとして温めてきたが、今は実現するいいチャンスだと考えた」と、ANAHDのグループ経営戦略室事業推進部長で、協議会事務局の津田佳明氏は話す。
協議会が第1期会員を2020年9月に募ったところ、26の企業や教育機関、自治体などが集まった。航空業界からは、ワーケーションに力を入れる日本航空(JAL/JL、9201)も参加し、いずれの組織も社員の働き方改革や地域の交流人口拡大、旅を通じた中高生の教育といった、旅の効能を生かすことに関心を示している。
すでに勉強会はキックオフイベントの第1回、9月の第2回、11月の第3回とオンライン開催を重ね、今月16日には第4回目として、オンラインのシンポジウム「ポストコロナの旅と不便益」を開いた。
—記事の概要—
・「白川郷は“不便益のキング”」
・WGもオンライン
「白川郷は“不便益のキング”」
シンポジウムは、観光学や経営学、観光マーケティングを研究する駒沢女子大学観光文化学類の鮫島卓准教授による基調講演「ポストコロナの旅と不便益」でスタート。「これまでの観光学は、観光を提供する人のための学問だった」と述べ、今後は観光する人を育成することも研究領域に入るとした。旅で非日常を経験することで、観光した人が知らなかったことを知ったり、見えなかったことが見えるようになることで、自らの考え方や行動が変化する効用に触れた。
「インスタ映えだけの旅では、元の自分に戻る閉じた旅になってしまう」(鮫島氏)として、単に旅先へ身体的な移動をするだけではなく、その場での体験により自らを磨き上げることが、学びの効果がある「自己変容できる旅」になると指摘した。
こうした中、不便さから得られる効用に注目すべきだと鮫島氏は述べた。これまでの商品開発は不便なものを便利にすることで付加価値を見いだしてきたが、不便ながらも精神的な豊かさが得られる不便益が、自己変容を促す旅では重要な要素になるという。「Clubhouse(クラブハウス)は典型的な不便益。何らかの制約を加えるということだ」(同)と、招待制や録音・内容の公開が禁じられるなど、意図的に制約を課している音声SNS「Clubhouse」を不便益の例として示した。
旅における不便益の例として、鮫島氏は岐阜県にある世界遺産の白川郷を挙げた。「白川郷は“不便益のキング”と言ってもいいくらいだ」と、海外を含め多くの人が訪れて新たな発見や安らぎを与える場ながらも、アクセス面では周辺に駅がなく、名古屋から高速バスで2時間かかるなどの不便さも併せ持つことで、単に現実から離れて解放感を得るのではなく、適度な緊張感が旅からの学びにつながるとした。
また、現地での人との出会いなど、ひとりではなく多様な視点による気づきが、深い理解や個性の自覚化を促し、見学だけでなく体験することが「観察者」と「当事者」双方の視点をもたらし、こうした旅先に対する深い関与が自己変容を促すと述べた。
そして、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標「SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)」が企業経営などに影響を与える中、不便益は価値観の転換にもつながるという。
これまでは際限のない欲望を満たす資本主義で、物質的な豊かさを目指す「便利益」だったが、「不便益は節度ある欲望を満たす資本主義で、精神的な豊かさを目指すもの」(同)と指摘し、基調講演を終えた。
WGもオンライン
基調講演後は、協議会のメンバーが活動を報告。テーマを「新たな旅の教育プログラム開発(A-1)・関係人口創出のための取り組み(A-2)」「旅のデータの有効活用(B-1)」「新たな旅のメディア創出、需要喚起(C-1)」の大きく3つに分類し、4つのワーキンググループ(WG)に分かれて活動している。
各WGにはリーダー企業が置かれ、A-1はソフトバンク、A-2はパソナJOB HUB、B-1は日本アイ・ビー・エム(日本IBM)、C-1はTABIPPOが務め、WGのとりまとめはANAHD以外の企業が担当している。
WGは新型コロナの影響ですべてオンライン開催となり、実際に顔を合わせることなく定例会が進んでいったという。4月からは新会員も加わり、新年度の活動が始まる。
協議会事務局メンバーで、活動報告会のファシリテーターを務めたANAHDのデジタル・デザイン・ラボの大下(おおしも)眞央さんは、「これまではANAが主体となっていましたが、今回からみんなで運営する形にしました」と、参加メンバー全体でイベントを運営する形に改めたという。
「こちらから何もお願いしていない段階で、プレゼンテーションの資料を作ってくださりました」(大下さん)と、報告会の参加者が率先して準備を進めるなど、熱のこもった活動になっているようだった。
第1期会員の活動期間は、2020年10月1日から今年9月30日までの1年間。新年度からはより違った角度で、旅の効能を探っていくという。
キックオフイベント
・旅は人を幸せにする? ANAが「旅と学びの協議会」始動(20年6月24日)
旅と学びの協議会
・ANA「旅と学びの協議会」、第1期会員にJALなど26団体 16日にシンポジウム(21年2月2日)
・ANA、旅と学びの協議会の第1期会員募集 17日に第2回勉強会(20年9月1日)
・ANA、旅と学びの協議会設立 旅の効能を科学的に立証(20年6月6日)