日本航空(JAL/JL、9201)は2月5日、羽田-沖縄線の就航65周年記念式典を那覇空港で開いた。5日の羽田発那覇行き初便のJL901便(ボーイング777-200型機、登録記号JA008D)と、折り返しの羽田行きJL902便の乗客には、記念品が手渡された。
JALは1951年の会社設立から約3年後の1954年2月5日に、羽田-沖縄線を直行便で開設。沖縄返還前だったことから国際線として就航し、乗客はパスポートに代わる身分証明書が必要だった。3日前の2月2日には、同社初の国際線である羽田-サンフランシスコ線がウェーキとホノルル経由で就航しており、沖縄線は2路線目の国際線となった。
初便の機材はダグラスDC-6B型機「City of Nara」号(JA6203)で、羽田を5日午後1時すぎに出発し、午後8時42分に沖縄の嘉手納飛行場へ到着。乗客は20人で、うち9人が招待客、11人が航空券を購入した有償旅客だった。同機は折り返しで午後9時15分に嘉手納を出発し、6日午前2時に羽田へ帰着した。
那覇飛行場(現在の那覇空港)では当時、北側の干潟を埋め立てて民航地区とする工事が進められており、民間機が発着できなかった。このため、工事が完成する1954年11月までは、民間機の沖縄乗り入れは嘉手納だった。
65年前の初便に“搭乗”していたという、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューローの平良朝敬会長は、「母親からお腹にいたころに乗ったと聞かされ、10歳の時に改めて乗った。そのころはパンナム(パンアメリカン航空)とかがグアムや米国本土に飛んでいた。65年というのは改めてすごいと思う」と、感慨深げに話した。
5日に那覇空港の搭乗口前で開かれた記念式典で、JALの執行役員として沖縄地区を担当し、那覇を拠点とする日本トランスオーシャン航空(JTA/NU)の社長を務める丸川潔氏は、「沖縄が本土復帰した1972年に、ジャンボの愛称で親しまれたボーイング747型機が初めて日本の空を飛んだのが羽田-沖縄線だった。1990年にテクノジャンボと呼ばれた747-400が日本で初めて飛んだのもこの路線で、沖縄の発展とともにJALグループを皆様に育てていただいた」と、謝辞を述べた。
2017年度の羽田-那覇線の乗客数は前年度比3.8%増の245万9566人で、提供座席数は1.0%減の320万6909席、ロードファクター(座席利用率)は3.5ポイント上昇し76.7%だった。丸川氏は、「(シーズンの)オンとオフがなくなった。以前は閑散期に苦労してイベントを作り、団体客などを集めていたが、今はイベントを開こうにも空いているところがない。海洋博(75年7月から76年1月開催)の後は落ち込んだが、今は需要が通年で底堅く、東京五輪後も好調さは続くのではないか」と語った。
JALは2017年2月28日に、那覇空港の国内線サクララウンジを18年ぶりにリニューアル。翌2018年2月28日には、最上級ラウンジ「ダイヤモンド・プレミアラウンジ」(DPラウンジ)を新設している。
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日本航空
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