1964(昭和39)年10月10日に開幕したの東京オリンピックでは、聖火輸送に戦後初の国産旅客機である日本航空機製造(日航製)のYS-11型機が使われた。試験2号機(登録番号JA8612)が全日本空輸(ANA/NH)にリースされ、返還前の沖縄・那覇空港から聖火リレーがスタートする鹿児島と宮崎、北海道へ運ばれた。
ANAは、パイロットや整備士、客室乗務員など12人で聖火輸送隊を編成。機内には飛行機が揺れても聖火が消えないよう、聖火を置く専用の台が設けられた。
このYS-11に同乗した整備士、福井裕(ゆたか)さんに当時の様子を聞いた。
—記事の概要—
・裸火は持ち込めない
・どこでも大歓迎
裸火は持ち込めない
福井さんは1956(昭和31)年4月に入社し、1963年9月から名古屋駐在として、日航製で開発が進められていたYS-11に関する業務に従事していた。そして1964年6月に羽田へ異動する辞令が出た。
「YS-11の受け入れに向けて整備規定を作ったり、マニュアルを作っており、頭の中はそれしかなかったのですが、聖火輸送をやれと言われました」と話す福井さんは、1961年に就航したターボプロップ機であるフォッカーF-27 フレンドシップで聖火を運ぶのではと考えていた。
しかし、聖火輸送はフレンドシップではなく、YS-11が担うことに。間近で接していた福井さんが
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