1974年に国営のスイス航空(当時)へ入社し、2002年からスイス インターナショナルエアラインズ(SWR/LX)の日本・韓国支社長を務めてきた岡部昇支社長が、12月31日をもって退任する。後任はルフトハンザ ドイツ航空(DLH/LH)のドナルド・ブンケンブルク日本・韓国支社長が兼務し、ルフトハンザグループとして一体的にマネジメントするようになる。
「空飛ぶ銀行」とまで言われたスイス航空は、経営不振に陥り2002年に破綻。子会社のクロスエアを母体とするスイス インターナショナルエアラインズが引き継いだ。岡部支社長にスイス航空からの移行期など、これまでの42年間を聞いた。
── スイス航空へ入社したきっかけは。
岡部支社長:大韓航空(KAL/KE)に入り、羽田空港で働いていた。空港内では他社と交流があり、「欧州方面に興味はあるか」と声を掛けられた。当時航空会社と言えば、パンナムなど米国の航空会社がまず思い浮かび、ブリティッシュ・エアウェイズ(BAW/BA)とエールフランス航空(AFR/AF)が光っていた。ルフトハンザ ドイツ航空(DLH/LH)はまだ後発といったところだ。米国や欧州への憧れがあった。
── 印象に残っていることは。
岡部支社長:羽田から成田へ国際線が移転する際、1回遅れた(記者注:成田開港は当初1978年3月だったが過激派が管制塔内の機器を破壊したため、5月20日に延期された)。当時は道路も全部開通しておらず、アクセスが不便だった。
移転に向けて、貨物を積むコンテナラックや備品を運んでいた。しかし、コンテナのバックアップも羽田になかったので、成田から再び羽田へ戻すことになった。
── スイス航空が破綻し、スイス インターナショナルエアラインズに生まれ変わった。
岡部支社長:スイスは政治的に見るとEU(欧州連合)のメンバーになっていない。他社はEU域内を自由に飛べるが、スイス航空は飛べずに孤立化していった。
スイス航空は「空飛ぶ銀行」と言われるほど財政が健全だったが、買収した航空会社が働いてくれない。そして9.11があった。「スイス航空はいろいろな航空会社を買っているから、本体も危ないないんじゃない?」とささやかれるようになった。
ある時、一つの間違いが起きた。ロンドンのヒースロー空港でスイス航空がランディングフィー(着陸料)を払ってなかった。請求書が
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