Aviation Wireをご覧の皆さま、こんにちは! 客室乗務員(CA)経験者専用の情報共有サイト「CREW WORLD」です。
1月からスタートした当連載。前回は、「CA用語、航空会社でどう違う」と題し、航空会社によって異なるCAの使う用語について取り上げました(関連記事)。
第6回の今回は、「CAが感じた3.11 あの時、何をしていたのか」です。未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から、まもなく4年が経過します。誰にとっても忘れることができない1日となったあの日。機内では保安要員として、常に緊急事態を想定し乗務しているCAに、「3.11」はどのように映ったのでしょうか。
今回は、7人のCAが感じた「3.11」をお伝えします(名前はいずれも仮名)。
日系航空会社元CA 岩本さんの場合
当日はオフで、友人と都内のカフェで過ごしていた時に震災が発生しました。次の日から長距離路線の乗務があるため、必ず家に帰宅しなければと思いタクシーでの帰宅を試みるも、タクシーは最後までつかまらず何時間もかけて徒歩で自宅へ戻りました。
次の日は、なんとしてでも空港へ向かわなければと、近所に住んでいる先輩と一緒にタクシーに乗り、6時間かけて成田空港へ向かいました。
空港到着後、当初乗務が予定されていた便には乗らず、空港に到着した順に乗務しました。便が乱れてどの便に乗務するか分からないというのは想像していたので、どこへでも乗務できる心の準備はありました。当日乗務した便の客室責任者が福島出身で、ご家族と連絡が取れていない中、気丈に振る舞われていたのが印象的でした。
都心に住んでいるCAは、タクシーがなかなかつかまらず出社できない人が多かったと聞いています。当時務めていた会社は国際線の離発着が主に成田だったため、成田へ自力で行けなくても羽田へ行くことができるCAがいたことから、CAたちはまず羽田に集合しました。そして会社が用意したバスやタクシーで、機長とCAは羽田から成田へ移動、CAは着いた順番に便が割り当てられて乗務したそうです。
あのように交通網も麻痺(まひ)しているなか、なんとしてでも必ず空港に着くよう努めている同僚を見て、「これが私たちが置かれている状況だ」と感じました。その後一般企業へ転職し、都内が大雪で交通網が麻痺している日があったのですが、当日そのようなことを想定して動いていたので、私は遅刻することはありませんでした。航空会社での経験がこのような意識につながっていると思います。
日系航空会社元CA 高橋さんの場合
震災発生時は自宅にいたのですが、すぐに会社から「いつでも飛べる準備はしておいてください」との連絡がありました。次の日は羽田へ向かい、
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