航空自衛隊が運用する日本航空機製造(日航製)YS-11型機のうち、オリジナルの英ロールス・ロイス製ターボプロップエンジン、ダートMk542-10を搭載する最後の機体となった飛行点検機YS-11FC(機体番号52-1151)が3月17日、ラストフライトを行った。
飛行点検隊のある入間基地を午前9時29分ごろ離陸すると、上空での8の字飛行やタッチ・アンド・ゴーなどを披露し、「ダートサウンド」をとどろかせた。到着時には、基地の消防車による放水アーチによる歓迎を受け、50年以上の運用に幕を下ろした。
—記事の概要—
・最後に残ったダート
・「一番操舵が重く、力が必要」
・残るはスーパーYS
最後に残ったダート
YS-11の運航は、国内の航空会社では2006年9月30日に終了。日本航空(JAL/JL、9201)グループで鹿児島空港を拠点とする日本エアコミューター(JAC/JC)の沖永良部発鹿児島行きJC3806便(登録記号JA8766)が最終便となった。
その後、国土交通省航空局(JCAB)の機体(JA8709)が同年12月22日、海上保安庁(JA8701)では2011年1月13日、海上自衛隊(9041、9042)では2014年12月26日にそれぞれ最後の機体が退役し、3機あったYS-11FCのうち「51号機」や「151号機」と呼ばれる52-1151が、ダートサウンドとして親しまれたオリジナルエンジン最後の機体になった。
空自の飛行点検隊は、陸海空3自衛隊の42基地にある163の航空保安施設が正常で、必要な機能を有しているかを調べる「飛行点検」を受け持つ。YS-11FCのほか、U-125を2機、YSの後継となるU-680Aを3機運用しており、飛行点検回数は年間約300回にのぼる。
YS-11FCは、3機のうち飛行点検機として唯一新造された160号機(12-1160)が1971年2月25日に引き渡され、同年6月から飛行点検を始めた。残り2機は、要人(VIP)輸送仕様で製造された人員輸送機YS-11Pからの改造で、1965年3月30日に空自機として初めて納入された151号機が1992年3月から、1966年3月28日納入の154号機(62-1154)が一足先の1991年4月から飛行点検機として任務を果たしてきた。
151号機の納入日は、運輸省(現国交省)航空局に引き渡された量産初号機(JA8610)と同じ日。自衛官の定年とほぼ同じ55年にわたり飛び続けた。
カナダ製自動飛行点検装置「AFIS-1」(160号機のみドイツ製「AFIS-300」)や、自動飛行点検時に自機の位置を補正するためのカメラなどを搭載。搭乗員は飛行点検操縦士(機長)と副操縦士、機上整備員が1人ずつ、機上無線員(パネルオペレーター)が2人の計5人が基本編成だった。
「一番操舵が重く、力が必要」
最後まで残った151号機の特徴のひとつとして、ドアが前開き式になっている。空自のYS-11は53号機以降がスライド式になったため、3機あるYS-11FCで唯一の前開き式だった。主翼と垂直尾翼の防除氷装置も、151号機から154号機まではヒーターで熱した空気を翼前縁部に流す「コンバッション式」だったが、155号機以降は空気圧で黒いゴム部分を膨張させる「ラダー・ブーツ式」に変わった。
17日のフライトでは、飛行点検操縦士(機長)の渡邉潤一3等空佐をはじめ、副操縦士(コパイロット)と航法幹部(ナビゲーター)、機上整備員(フライトエンジニア)、機上無線員(パネルオペレーター)の5人が乗務。入間基地上空を約1時間フライトし、最後のダートサウンドを披露した。
渡邉3佐は11年前から乗務しており、約8800時間の飛行時間のうち約1900時間がYS-11だという。フライトを終えた渡邉3佐は、「いろいろ乗ってきた中で、YS-11はマニュアル操舵で操縦が大変難しかったですが、逆に愛着が湧き、乗りこなすぞという気持ちが湧いてきました。50年以上飛んでおり、私も54歳で同じくらいで愛着があります。整備員や支援する方々の努力があってこその50年なので、深く感謝したいと思います」と感想を語った。
151号機の操縦上の特徴については、「一番操舵が重く、力が必要でした。54号機と60号機は素直でしたね」と振り返った。
子供のころからパイロットになりたかったという渡邉3佐は、中学2年生の時に千歳基地で開かれた体験入隊で、初めてYS-11に乗ったという。「どの機体だったかは忘れてしまいましたが、パイロットになる背中を押してくれた気がします」と振り返った。印象に残っている任務は南鳥島。「硫黄島経由で7時間かかります。なかなか行けないところに任務で行けました」と話した。
残るはスーパーYS
YS-11は、半民半官の日本航空機製造が1962年から1973年までに試作機2機を含む182機を製造した戦後初の国産旅客機。日航製が設計・開発と生産管理、品質管理、販売、プロダクトサポートを行い、生産は重工各社など機体メーカーが分担し、最終組立を三菱重工業(7011)が担当した。
このほかに、海自が運用していた対潜哨戒機P-2JのエンジンIHI製T64-IHI-10Jに換装し、プロペラのブレードがオリジナルの4枚から3枚になった「スーパーYS」とも呼ばれる電子戦訓練機YS-11EAと電波情報収集機YS-11EBが数機あり、当面運用が続く。しかし、YS-11EBの後継機となるRC-2が2020年10月に入間基地へ配備されたことから、これらの機体も退役が近づきつつある。
*写真は36枚。
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関連リンク
航空自衛隊
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【お知らせ】
自動点検装置について空自からの提供情報が更新されたため記事に反映しました。(21年4月6日 19:56 JST)