全日本空輸(ANA/NH)グループの航空会社で長年機長を務め、定年退職後も大阪府内の八尾空港で自家用機の操縦教官を務める植野廣園(ひろぞの)さん(76)が12月15日、飛行時間3万時間を達成した。定期便に乗務する航空会社のパイロットでも退職時の飛行時間は多くても2万数千時間で、「3万時間」はまれな記録。15日は八尾から和歌山方面を往復するローカルフライトを実施し、着陸後に関係者による祝賀行事が開かれた。
—記事の概要—
・「空飛ぶシーラカンス」
・「選択肢を複数用意」
・ユーモア・好奇心・努力
「空飛ぶシーラカンス」
「空飛ぶシーラカンス」。パイロットを対象にした安全講習会などで講師を務める機会も多い植野さんだが、自分のことを冗談交じりにこう紹介する。その55年にわたるフライト歴は高度成長期以降、飛躍的なスピードで翼を伸ばした日本の航空界の歴史と重なる。
大阪市内の高校に通っていた時に淀川の上空をゆったりと舞うグライダーに魅せられたのが空に関心を持ったきっかけ。学生時代からプロパイロットを目指し、養成団体「日本飛行連盟」の操縦学生になった。初めて飛んだのは1964年、旧海軍航空隊の基地があった神奈川県藤沢市の飛行場で。米国製の2人乗り単発機の操縦桿を握り、飛ぶ楽しさを知った。
3年後に事業用操縦士の資格を取得すると、パイロットの派遣会社に採用された。航空測量や写真撮影を行う会社で飛行経験を積み、1985年に中日本航空へ入社。洋上をパトロールする水産庁の漁業監視などの仕事が次々と入り、全国を飛び回った。教官や査察操縦士として後進の指導に当たる一方、旅客機で地方都市を結ぶコミューター路線の開設を担当した。
機種選定にも従事し、各国の航空機メーカーを訪問。そこで出会ったのが、オランダ・フォッカー社の双発プロペラ機「フォッカー50」だった。同社の機体はANAもかつて主力機として使用していた実績があり、頑丈な設計と信頼性が持ち味。ドーバー海峡の上空で実施したテスト飛行では、片側のエンジンの出力を絞り、失速ギリギリの速度での操縦性を確認した。
「機首を上げ続けて失速させると、グラッと姿勢が崩れてスピンに入るのですが、修正操作をするとすぐに回復する。隣に座っているフォッカーのパイロットが平然としているのを見て、この機体でいこうと確信した」と振り返る。
「選択肢を複数用意」
関連会社の中日本エアラインサービス(ANAウイングスの前身)が名古屋-米子、富山間で運航を始めると、機長として乗務。以来、2008年の退職まで17年間にわたり「フォッカー50」は植野さんの良き相棒だった。
ラストフライトは同年3月4日、中部-仙台線の往復だった。その時点での総飛行時間は2万7643時間。長いフライト生活では、エンジンが停止したり機体に雷が落ちたりしたが、幸い重大なトラブルには遭遇しなかった。「悪天候や管制上の混雑などイレギュラーが予想される場合、選択肢を複数用意し、安全にフライトを終えられるよう、いつも打つ手を考えていた」と話す。
航空会社での乗務を終えても空への情熱は冷めず、昨年8月まで神戸空港のヒラタ学園航空事業本部に勤務。現在は八尾の自家用パイロットらに請われ、操縦の助言や技術的な相談に乗っている。これまでのフライトを記録した飛行日誌(ログブック)は29冊にもおよぶ。
15日は兵庫県芦屋市の内科医、渋谷知宣さん(70)の訓練機(ボナンザ)に同乗して、約40分間フライト。八尾のパイロット仲間やかつての同僚が駆けつけ、花束贈呈などで快挙を祝った。日本飛行連盟で操縦を習った時の教官で、現名誉会長の高橋淳さん(97)もお祝いに駆けつけ、「決して無理せず、これらからも安全にフライトを楽しんで」と激励。植野さんは「多くの人のお陰で安全なフライトを重ねてこられた。これからも一本一本のフライトを大切にして、飛行時間を延ばしていきたい」と話した。
ユーモア・好奇心・努力
21歳で初めて操縦桿を握り、大空へのロマンを失うことなくフライトを続ける植野さん。厳しい健康管理を求められるパイロットだが、70代になっても元気に飛び続けられる秘訣はどこにあるのだろうか。
「まずは健康第一。パイロットは航空法で定められた身体検査を定期的に受けることが義務付けられています。私はジョギングや社交ダンスのレッスンで体調を整えています。航空会社で飛んでいた時は宿泊先に靴を保管してもらい、ステイのたびに走ってました。たばこと酒をやらなかったことも良かったかな」
次いで心がけているのは「食事のバランス」と「心のバランス」。暴飲暴食を避け、常に物事を前向きに考え、目標を決める。「ラストフライトのあいさつで『次の目標は3万時間』と宣言しました。有言実行も目標実現のために大事なこと」と語る。
「アメリカで退職したパイロットを対象にした興味深い研究がある」と植野さん。無事故で退職した、いわゆる「ハッピーリタイアメント」を遂げたパイロットを追跡調査したデータには共通の特徴があったそう。「それはユーモアを大切にすること、好奇心を持ち続けること、努力することの3点です。周囲とのコミュニケーションを大切にし、新しい知識や技術の吸収に熱心で、常に努力したパイロットが、最後まで無事に飛行機を降りることができるのだと思います」と話した。
関連リンク
八尾空港事務所
・ピーチ“空飛ぶ副社長”角城機長、48年飛びラストフライト 北朝鮮拉致被害者の帰国便も担当(19年12月4日)
・「青でも赤でもなくピンクで行くんだ!」特集・ピーチ”空飛ぶ副社長”角城機長ラストフライト(前編)(19年12月11日)
・女性パイロットや整備士が仕事紹介 航空5団体が女性向け航空教室(19年12月15日)
特集・JALパイロット自社養成再開から5年(全5回)
(1)ナパ閉鎖を経てフェニックスで訓練再開
(2)旅客機の感覚学ぶジェット機訓練
(3)「訓練は人のせいにできない」
(4)グアムで737実機訓練
(5)「訓練生がやりづらい状況ではやらせたくない」