3月16日に就航10周年を迎えたスターフライヤー(SFJ/7G、9206)。会社の設立記念日である12月17日からは、客室乗務員と地上係員が新制服の着用を開始し、就航以来の初代制服は16日が最後となった。
初の制服リニューアルとなるスターフライヤー。今年3月16日に北九州市内で開かれた新制服のお披露目で、客室の責任者となる先任客室乗務員(パーサー)の制服で登場した目野美也子さんは10年前、初便の北九州発羽田行き72便に乗務していた。
就航当初から初代制服に袖を通してきた目野さんに、新興エアラインであるスターフライヤーを選んだきっかけや、就航当時の様子を聞いた。
—記事の概要—
・ノストラダムスの予言
・親の死に目にあえない仕事
・キツいけどがんばろう!
・所作に気を遣ったパンツスーツ
・負けず嫌いで他社研究
・他部署の苦労知る
・「部長になります!」
ノストラダムスの予言
スターフライヤーは、ライト兄弟のフライヤー号初飛行から100年目の2002年12月17日、航空運送事業への新規参入を目指し「神戸航空株式会社」として神戸市に設立。2003年5月に現社名に変更し、同年12月に北九州市へ本社を移転した。
初号機となるエアバスA320型機(登録番号JA01MC、1クラス144席)は、2005年12月15日に羽田空港へ到着。2006年3月16日に1路線目の羽田-北九州線を開設した。初便はこの日に移転開業した北九州空港発の羽田行き72便。現在は1クラス150席仕様のA320が9機で、羽田-北九州線、関西線、福岡線、山口宇部線、中部-福岡線の5路線を運航している。
世界的にも珍しい黒を基調に白をあしらった機体デザインや内装、ロゴマークは、デザイナーの松井龍哉さんが担当。ブランドデザインを一手に担った。森岡弘さんがデザインした客室乗務員の制服も、黒のパンツスーツに白いブラウス、白いスカーフと、機体に合わせた。足もとが広い機内で、タリーズのコーヒーと森永製菓(2201)のチョコレート「カレ・ド・ショコラ」を無料提供するサービスは、就航時から今も続いている。
「私の場合、小さいころから客室乗務員を目指してました、というタイプではありませんでした」。そう話す目野さんが客室乗務員を目指したのは、米国留学後だった。当時ロサンゼルス空港へ行く機会が多かったという目野さんは、多くの人が行き交う空港で働きたいと考えるようになった。
帰国後は地元の福岡空港で、日本航空(JAL/JL、9201)の地上係員として国際線を担当した。しかし、国際線ターミナルで多くの外国人クルーを見かけるようになると、世界を結ぶ客室乗務員という仕事を意識するようになっていく。そして、目野さんはこのころ、ある“予言”を信じていた。
「地球が滅亡するという、ノストラダムスの予言を信じていたんです。しかし(滅亡するとされていた)1999年になっても滅びない。急に仕事について、いろいろと考えるようになりました」と笑う目野さんは、福岡空港を拠点とする日本エアシステム(JAS、現日本航空)系のハーレクィンエアを振り出しに、客室乗務員として乗務を始めた。
親の死に目にあえない仕事
スターフライヤーに目野さんが入社するきっかけとなったのは、2005年3月20日に玄界灘で起きた福岡県西方沖地震だった。当時大阪に住んでいた目野さんが乗務前にテレビでニュースを見ていると、福岡市内で最大震度6弱を記録した地震で、繁華街にあるビルの窓ガラスが割れた様子が映し出された。
福岡の実家が気になった目野さんは、すぐに電話を掛けたがつながらない。しかし、この日から3泊4日の乗務をこなさなければならなかった。家族が心配になった目野さんは、上司に乗務から外してもらえないかと掛け合った。
「この仕事は親の死に目にあえない職業だ。家族には私が代わりに電話する」と上司に説得された目野さんは、不安を抱えながら出発準備を進めた。そして乗務便のドアが閉まる直前、上司が走ってきて目野さんに言った。「お母さんも大丈夫だ」。
家族の無事を確認できた目野さんだったが、地震をきっかけに自分の仕事の意義を考えるようになった。「親の死に目にはあえないけれど、お客様の命は守らないといけないのだと、改めて考えました」と話す目野さんは、何かがあった時には家族のもとへ駆けつけられる場所にいたいとも思うようになっていく。
「会社を辞めて、無職で福岡に帰ろうと思いました」という目野さんだったが、同じ会社のパイロットから、スターフライヤーが客室乗務員を募集していると聞かされる。地震から4カ月後の7月に試験を受け、11月1日にスターフライヤー第3期の客室乗務員として入社した。
キツいけどがんばろう!
スターフライヤーの客室乗務員は、最初に管理職、次に経験者、最後に未経験者という順で採用が進められた。「だいたい2週間おきに1期から4期が入社しました。現在の北九州空港がまだ開港していなかったので、大分空港で訓練をしていました」と目野さんは話す。
12月15日に初号機が羽田に到着した際は、北九州市内の本社でニュースを見ていた。このころ目野さんは訓練を終えていたが、当然ながらまだ乗務できない。「客室乗務員はいろいろな部署を手伝っていました。私は広報や経理がいる部屋で、庶務をしていました」と振り返る。
そして年明けの2006年1月16日、都内の品川プリンスホテルで事業説明会が開かれ、目野さんは制服を着用して、堀高明社長(当時)らと舞台に並んだ。午後6時すぎから羽田空港で初号機の機内が公開され、目野さんは記者やカメラマンのリクエストに応じていた。
「あの日は寒かったことが記憶に残っています」という目野さんは、その後も就航まで同僚とともにテレビなどを通して会社をピーアールした。
就航直前の社内の様子を、目野さんはこう話す。「期待も不安もありました。ひとり一人が自分で考えていかなければならず、責任感と楽しさがありました」。
今にして思えば笑い話というが、現在では考えられないことが次々と起きていたという。「(機内サービスで必要なものを仕入れる)ケータリング会社と契約していなかったり、機内で使う紙コップがなかったり、(ドリンクなどを機内に運び込む)フードローダー車をどうやって充電するんだなど、手探りでした。就航してしばらくはそんな感じでした」と笑う。
スターフライヤーは、機内清掃などのコストを抑えることで、大手を下回る運賃を打ち出している。就航当初は客室乗務員が全便の清掃もこなしていた。「当時は午前4時半出社で、4レグ(区間)全便の清掃もしていました。キツいけどがんばろうと、一体感はすごくありましたね」と話す。
所作に気を遣ったパンツスーツ
では、12月16日で最後となる初代制服は、どうだったのだろうか。目野さんが入社試験を受けた2005年7月の時点では、まだデザインが決まっていなかったという。
「訓練でデザイン画を見て、実物は試着で初めて見ました。当時の素材はストレッチが効いていました。パンツスーツは人により似合う、似合わないがありますね」と感想を話す目野さんは、「あまり太れないな、と思いました」と笑う。
暗黙の了解で体型を維持しなければならないと感じたが、黒い制服はうれしかったという。スターフライヤーに入る前に乗務していた2社は、いずれも明るい色の制服だった。「濃い色の制服はかっこいいなと思ってました。パンツスーツも、スタイリッシュな会社のイメージを感じました」と話す。
会社のイメージを体現する客室乗務員の制服。パンツスーツは動きやすさを考慮して選ばれたものだったが、気をつけなければならない面もあった。
「動きやすい分、所作も気をつけないといけないですね。スマートスタイリッシュという、会社のイメージを背負っていますから」と、会社のイメージを壊さないように心掛けてきたという。
ブランドコンセプトを頭に入れることを意識して就航準備を進めてきた目野さんは、初便となった2006年3月16日の北九州発羽田行き72便に乗務する。この日は乗務前に、北九州空港の開港式典にも出席しなければならなかった。
「開港式典でくす玉を割り、急いで72便に向かいました。この日はログブックをひたすら書いてました。それが仕事でした」と笑う。スターフライヤーの客室乗務員は通常1便に3人乗務しているが、この便には客室乗務員が座る「アテンダントシート」が満席になる6人が乗った。
慌ただしい初便就航から2、3日後、目野さんは先任客室乗務員として、初めて乗務した。資格は就航前に取得していたが、この時が他社を含めて人生初の客室責任者としてのフライトになった。「この時も早朝便でした。離陸した時に自分がパーサーで離陸したんだ、と思いました。その一瞬のことは覚えています」。
負けず嫌いで他社研究
現在目野さんは新人が乗務する際に機内で指導するインストラクターと、乗務するチームのチームリーダーを務めている。そして2012年9月から2015年6月までの2年10カ月間は、乗務とともに機内販売の企画や客室乗務員の規定作成の手伝いなど、地上勤務にも就いた。
この時に携わったのが、新シートを採用した12号機(登録番号JA22MC)の仕事だった。12号機は2013年11月21日に受領した機体で、シートピッチは11号機までと同じ34インチ(約86センチ)だが、4センチ分あった液晶モニターが埋め込まれたため、この厚さの分が広くなった。また、機内エンターテインメントシステム(IFE)も、搭乗直後から音楽やビデオを好きな時に楽しめるようになった。
新IFEの開発には、社内の各部署からスタッフが参加。目野さんが主に携わったのは、客室乗務員が使う操作パネルだった。
「インテリアの仕様がある程度決まったころに異動してきました。羽田で前任者から引き継ぎましたが、3時間の説明ではちんぷんかんぷん。メーカーのある米国へ出張しても、最初は会議について行けませんでした」と振り返る。
英文の契約書を読んでも、専門用語が山のように出てくる。整備や開発経験のない目野さんは苦戦した。「なんで何もわからない小娘が会議に出てるんだ、という反応が伝わってきました。負けず嫌いなので、社内にいた大手出身でIFEの担当経験がある人に教えを請いました。メーカーでは相手の信頼を得るのが大変でした」と話す。
“負けず嫌い”と自嘲する目野さんは、米国出張に向かう際は、同じIFEを採用している航空会社に乗り、他社がどのような使い方をしているのかを研究。無事12号機用のIFEが完成した。
しかし、実際乗務で使ってみると、「良く出来たと思っていましたが、運用するとこうすれば良かった、という部分はありましたね」と、少し悔しそうな顔を見せた。
他部署の苦労知る
スターフライヤーは、11月に国内最大級の顧客満足度調査「2016年度版JCSI(日本版顧客満足度指数)調査」のうち、国内航空会社と新幹線で構成される「国内長距離交通」で第1位になった。1位獲得は、今回で8年連続。地上勤務の経験から、機内で乗務しているだけでは気づけなかったことも多いと、目野さんは話す。
「他部署が苦労している姿を見ることが出来ました。スターフライヤーの客室乗務員というより、社員として獲得できた喜びが大きいです」と、8年連続1位の感想を述べた。
客室乗務員による機内サービスをソフトとすれば、機材はハード。「客室乗務員は、機内という一定の空間でしか仕事をしていないので、どうしてもソフト面にいってしまい、視野が狭まってしまう。ハード面も知ることが大切です。そして、地上勤務では社内外の人に助けられたことが多かったです」と、当時の経験を語る。
こうした経験は、客室乗務員としてのサービス向上にもつながった。「お客様から意見をいただいた時に、客室乗務員の仕事だけをしていたら、そこまで深く聞かないかな、ということもありました」と、どういう経緯で乗客がその意見にたどり着いたのかといった見方をするようになったという。
「部長になります!」
そして今年3月16日、目野さんは初代制服に続き、2代目もお披露目に携わることになった。「なかなか新制服のお披露目に出られないものなので、会社を背負うすごい大役。貴重な経験をさせていただきました」と話す。
目野さんが着用したのは、先任客室乗務員の制服で、立ち位置はセンター。しかし、当日まで立ち位置も、着用する制服の種類も知らされなかったという。
12月17日からは、目野さんも新制服に袖を通す。「10年間突っ走ってきたところがありました。11年目からは会社に貢献できる仕事をして、後進が活躍できる場を作り、引き継いでいきたいです」と、新制服で初心に返り、気持ちも新たに仕事に臨む。
会社の評判は、思わぬところで聞くことがあるという。「あるお店でスターフライヤーに乗った店員さんが、お客さんに感想を聞かれて『乗っている人のことを考えている』と話していました。機内で配るチョコレートがよかったといった、一つのサービスではなく、全部ひっくるめて評価されていたのがうれしかった。会社の良い評判を聞くと、毎日いろいろあるけど、やっててよかった、明日もがんばろうという気持ちになりますね」とうれしそうだ。
「会社も、仕事も好き」という目野さんは、10年前の就航からスターフライヤーとともに突っ走ってきた。後輩たちには「機内のことだけではなく、外にも目を向けて欲しい。小さくて歴史が浅い会社だからこそ見えるものがあります」と期待を寄せる。
目野さん自身は10年後、どうしているのだろうか。「部長になります! と最近冗談で言ってるんですよ(笑)」と即答。客室乗務員が所属する客室部の部長を目指す。
2026年、目野部長へのインタビューを実現させたい。
関連リンク
スターフライヤー
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