日本航空(JAL/JL、9201)は9月29日、日本と中国を結ぶ定期航空路線の開設40周年記念式典を、中国国際航空(エアチャイナ、CCA/CA)と共に成田空港で開いた。
JALの日中間の定期便は1974年9月29日から就航。当時は週2便で、初便は羽田空港を出発し、伊丹空港と上海を経由して北京へ向かった。運航スケジュールは、月曜と水曜の午前9時に羽田を出発した。機材はダグラスDC-8-62型機で、座席数はファーストクラス14席、エコノミークラス122席の計136席、乗員は運航乗務員6人、客室乗務員12人の計18人だった。
当時の運賃は羽田-北京線のファーストクラスが8万7350円、エコノミークラスが6万2400円。路線開設直後の10月の搭乗率は、日本発と中国発ともに約50%だった。
一方、中国側は中国民航(当時)が火曜と金曜の週2便で就航。機材はボーイング707型機(148席)を使用した。
JALの中国便利用者数は、初年度の1974年度は約6300人だったが、2002年度には初めて年間100万人を突破。40年間の累計で2750万人が利用した。
2014年の中国からの訪日客は、1月から8月までで154万人と、2012年の年間143万人、2013年の同131万人をすでに上回った。一方で、反日姿勢を明確に打ち出し続ける習近平政権や深刻な大気汚染の影響により、日本人観光客の戻りは鈍い。ビジネス客も、チャイナリスクの高まりで一時期の勢いはない。
JALの中国路線も、好調な中国発の需要に対して、日本発はビジネス需要が底堅いものの、観光需要は減少傾向が続く。JALの大西賢会長は、「両国の人が動くことが重要。時間はかかると思うが辛抱する」と述べた。
29日の式典には、初便の機長を務めた石井延幸さん(77)と、客室乗務員の松田隆之さん(74)も出席。「上海や北京で熱烈歓迎を受けた。北京の抜けるような青空が印象に残っている」と40年前を振り返った。