日本航空(JAL、9201)の旧マクドネル・ダグラス(現ボーイング)MD-90型機が、3月30日で17年間の運航に幕を閉じた。最終便となった広島発羽田行きJL1614便(運航乗務員2人、客室乗務員3人、乗客150人満席)は、定刻より46分遅い午後9時42分に羽田へ到着。広島出発も44分遅れだった。
黒澤レインボー
MD-90は1965年に初飛行した小型機DC-9の発展型で、89年からMD-80シリーズの次世代機として開発がスタートした。93年に試験飛行と製造が始まり、日本では旧日本エアシステム(JAS)が96年4月1日に就航させた。エンジンは日本も開発に参画したIAE(インターナショナル・エアロ・エンジンズ)製V2500が採用され、座席数は150席(クラスJ18席、普通席132席)。地方路線に適した機体だった。
JASでは計16機を導入し、2004年4月のJAL/JAS完全統合後も全機が引き継がれた。2012年からはデルタ航空(DAL)への売却が始まった。
JAS導入時は故・黒澤明監督が「日本の朝」「日本の空を彩る七色の虹」をテーマにデザインした、7種類の機体塗装が施された。JALとの統合後は、全機が当時のJAL統一デザインであるアーク塗装に塗り替えられ、昨年9月に再塗装の実施期限を迎えた1機(登録番号JA8070)のみ鶴丸塗装となった。
最終便の機体は今年3月に「17年分の感謝をこめて MD-90 ありがとう」のメッセージが機種前方左側に塗装された登録番号JA8029が使用された。
17年間ありがとう!
ラストフライトとなった30日は、熊本と奄美、広島の各空港で記念イベントが行われた。最終便となった1614便の乗客には、岸本伸一機長と迫田秀一機長のサインが入った搭乗証明書や、航空機のエンジンオイルの空き缶から整備士が作ったペンたて、MD-90の特製手ぬぐい、シール、手書きのメッセージカードなど、多くの記念品がプレゼントされた。
最終便の到着する羽田では、本紙特集で座談会に出席していただいた宮﨑利夫機長をはじめ7人のパイロットや、JAS時代の制服を着用したグランドスタッフ、整備士らMD-90にゆかりのある社員が乗客を出迎えた。最終便は羽田到着後、操縦席中央窓に「ありがとう!」と書かれたメッセージボードが掲げられた。
MD-90の退役により、ダグラス社が製造した機体は日本の空から姿を消した。JALでは1951年8月にフィリピン航空からチャーターしたDC-3「金星号」の運航を皮切りにダグラス機の使用を開始。その後、JASの前身となる東亜国内航空(TDA)時代の機体も含めると、DC-4、DC-6B、DC-7C、DC-8、DC-9、DC-10、MD-11、MD-81、MD-87、MD-90の計11機種のダグラス機を運航した。DC-10には植木義晴JAL社長も乗務していた。
MD-90最終日の運航実績(括弧内は定刻)
JL1801 羽田06:35(06:25)ゲート1→熊本08:19(08:20)ゲート6
JL1804 熊本09:33(09:30)ゲート6→羽田11:08(11:00)ゲート5A
JL1955 羽田11:58(11:40)ゲート5A→奄美14:21(14:05)ゲート2
JL1956 奄美15:07(14:55)ゲート2→羽田16:56(16:45)ゲート6
JL1613 羽田17:54(17:30)ゲート6→広島19:20(19:00)ゲートB
JL1614 広島20:24(19:40)ゲートB→羽田21:41(20:55)ゲート8
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