「これまで5年間の“ベンチャー”を終え、次は本章の“アドベンチャー”。もっと行くぞ、という気持ちで、独自性と個性に磨きをかけていきたい」。
3月1日、本拠地の関西空港で開いた記者会見で、就航5周年を迎えたピーチ・アビエーション(APJ/MM)の井上慎一CEO(最高経営責任者)は、次の5年間に向けてこう語った。
ピーチの歴史が始まったのは、2008年1月。当時ANAの北京支店でディレクターだった井上CEOが、山元峯生社長(当時、故人)から呼び出されたところから始まる。LCCの立ち上げをまかされた井上CEOは、ANAのアジア戦略室長に就き、香港でLCCのビジネスモデルを研究した。
ANA本体では出来ないものを、社内ベンチャーとして始める。これがピーチ誕生の背景だった。
—記事の概要—
・北東アジアのリーディングLCC目指す
・ひとり一人が自立していないと、LCCは成り立たない
北東アジアのリーディングLCC目指す
2010年12月には、ANA内にLCC共同事業準備室が設けられた。3カ月後の2011年2月、関空を拠点とするLCCとして、ANAと香港の投資ファンド「ファーストイースタンアビエーションホールディングス(FE)」などの出資で「A&F Aviation株式会社」を設立。同年3月には産業革新機構(INCJ)も出資し、3社による現在の株主構成になった。
2011年5月24日、A&Fはブランド名を「ピーチ」とし、深い赤とピンクの中間色「フーシア」を基調としたロゴと機体デザインを発表。社名は「Peach Aviation株式会社」に変更し、本社をANAのある東京都港区東新橋から関西空港内に移した。7月7日には航空運送事業許可(AOC)を取得し、11月4日にエアバスA320型機の初号機(1クラス180席、登録番号JA801P)を仏トゥールーズで受領した。
就航は2012年3月1日。まだ閑古鳥が鳴いていた関空から、札幌行きMM101便が午前7時17分に出発した。日本初のLCCとあって空港内は混雑し、定刻より17分遅れで乗客162人と乗員8人(パイロット2人、客室乗務員6人)を乗せて関空を出た。そして約2カ月後の5月8日には、初の国際線となる関西-ソウル線が就航している。
5年前の就航当時、路線は関西-福岡線と札幌線の2路線、機材はA320が3機ではじまったピーチ。現在は国内線14路線と国際線13路線の計27路線を、18機のA320で運航している。
関空を発着する定期旅客便の便数も、今では国内線と国際線ともにピーチが最多となった。関空の利用者数を見ても、2011年度は1385万7000人だったのが、2015年度には2405万4000人と1.7倍以上に増加している。
5年間を振り返り、井上CEOは「関西の土壌で育てられた」と話す。就航5周年を目前に控えた2月24日には、株主であるANAホールディングス(ANAHD、9202)が連結子会社化を発表。現在のピーチはANAHDの持分法適用会社で、同社の出資比率は38.7%だったが、ANAHDは残る株主であるFEとINCJの2社から、4月10日付で株式を304億円で取得し、67.0%に引き上げて子会社化する。
この発表で、ピーチの独自性が失われるのではと懸念する声が噴出した。就航10年後は北東アジアのリーディングLCCを目指すという井上CEOに、これまでの5年間の振り返りと、LCCとして重要な考えや、今後の戦略を聞いた。
ひとり一人が自立していないと、LCCは成り立たない
──2月24日のANAHDによる連結子会社化の会見、就航5周年会見と、社員に対する感謝の言葉が印象に残った。
井上CEO:普通に考えたら、この会社には来てくれない。客室乗務員も、まだユニフォームが出来ていない時から応募してくれた。ありがたいと思っている。
──転職していくのも良しとするなど、社員への接し方が他社と異なるようだ。意識的にそうしたのか、創業時の環境がそうさせたのか。
井上CEO:両方だと思う。スタートアップのメンバーも近い考えだった。創業時は「ブラック企業」と変わらなかったとも言えるが、みんなが仕事を楽しんでいた。今日(3月1日)も古手と「あの時はキツかったが、楽しかった」と話していた。
人生は楽しむべきで、転職は自分の新しいチャレンジ。われわれは「脱藩論理」では見ない。拍手して、ピーチの誇りを持っていけという。そして、他社はつまんないと思うからピーチに戻れと(笑)。
──社員に聞くと、価値観が合わない人がいないという人もいる。採用時に重視しているのか。
井上CEO:採用担当者には、価値観の共有を大事にしてくれと頼んでいる。
しかし、明文化したものはない。会ってみて、「これやな!」「一緒にやりたい」という感覚を大事にしている。
──2015年3月に本社が空港内の建設棟から現在のエアロプラザに移り、それまで2階に分かれていたのがワンフロアになった。
井上CEO:ワンフロアにしたのは良かった。例えば便の運航が乱れた時、パイロットや客室乗務員が疲れて帰ってくるが、そのことを他部署の社員の共有できる。社員間のコミュニケーションも増えた。
ヘアスタイルを変えた社員がいると、「あ、変えた?」という会話が生まれる。こういうことが大事だと思う。
あとはなれ合いにならないこと。厳しいことはビシッと言う。手狭になってきたが、(ワンフロアを維持できる)場所があるかどうか。別のフロアを借りると分かれてしまうので、悩ましいところだ。
──就航5周年を迎え、今日からは「アドベンチャー」と言われた。
井上CEO:言い続けていることは、プロたれという意識づけだ。アマチュアは「私はこんなにがんばった、僕はこれをやった」と言う。だけど結果がない。結果がないのは、「何それ?」というのが、うちのスタンス。
ひとり一人が自立していないと、LCCは成り立たない。プロ集団じゃないと、必要な人数を最小限にできない。
自分のバリューが増していけば、今よりいい給料で引き抜かれる。それは素晴らしいことで、その人の人生にとっても、プロであることは大事だと思う。
第2ステージに入り、厳しいメッセージも出している。アドベンチャーは、海で言えば湾内から外海に出るようなもので、波も高いし助けもなかなか来ない。社員ひとり一人が自立する必要がある。
──自立以外のキーワードで、これから1年間力を入れたいものは。
井上CEO:価値観の均質化だ。
社員が急増しているので、価値観の共有に濃淡がある。これは入社年次ではない。均質化しないと、やがてベクトルが揃わなくなる。
──改めて5年間を振り返るとどうか。
井上CEO:関西が支えてくれた。関西の土壌があってこそ、桃の花が咲いた。ANAHDの連結子会社化に関連して尋ねられたが、本社移転はあり得ない。
花は環境で咲いている。移植したら枯れてしまうかもしれない。
就航当時、関空で成功するはずがないと言われた。しかし、5年間で飛行機の概念が変わるほど身近になり、ピーチがコンセプトにしている「空飛ぶ電車」がだんだん具現化してきた。
そして、社員だけではなく家族も支えてくれた。家族見学会をやっているが、最初は「ピーチなんて大丈夫なのか」と思われていた。しかし、今では良い会社で働いていると、社員が家族から言われるようになった。
(後編につづく)
関連リンク
ピーチ・アビエーション
特集・ピーチ井上CEO就航5周年インタビュー
後編 「ピーチ変わるな、もっと行け!」(17年3月8日)
就航5周年当日
・井上CEO「アジアで勝てるのはピーチだけ」 ANAHD子会社化、独自性に磨き(17年3月2日)
・ピーチ、就航5周年迎える CAが記念品プレゼント(17年3月1日)
ピーチ関連
・ANAホールディングス、ピーチを子会社化 片野坂社長「独自性維持する」(17年2月24日)
・ピーチ、A320neoで片道4時間以上も 東南アジア拡大視野に(17年1月12日)
・ピーチ、A320neo導入 19年から10機、将来100機体制に(16年11月18日)
・「上海はデカい大阪」特集・ピーチ井上CEOに聞く、次の一手(16年11月7日)
・【スクープ】ピーチ、札幌・仙台から上海就航へ(16年11月3日)
・ピーチ、新千歳を第4拠点化へ 18年度、道内路線や国際線開設(16年10月20日)
・ピーチ、5期目で累損解消 16年3月期、3期連続黒字(16年6月14日)
・ピーチ初便、定員下回る162人乗せ出発 “コンビニ”のように認知されるか(12年3月1日)